ラベンダーさんの育て方

植物擬人化小説

第20輪 頂上にて。三太とマノン

なに! ほんとにそれがおまえの名前か? よし決めた! おいラッキーボーイ、おまえをサンタにしてやる。こんな生活から抜け出そうぜ

あるひとりのサンタ

 

ビッグ・サンタ

 

 

 大きくて飾りつけが荘厳な扉がある。金色のトナカイの紋章がついた豪華な扉だ。
「この先が頂上だ」三太は言った。
「これ、どうして壊れてるの?」
 扉の前には、壊れたトナカイ模様の錠前が落ちていた。
「ぼくたちより先に誰かが来たんだ」
「きっとオレンジだわ! オレンジが浄化するために来たんだわ!」
 マノンが元気に言う。
「だといいけど」
 扉の先には部屋があった。木の階段だけがあって、それ以外は何もないさみしい部屋。上がるたびにぎしぎし音を立てるうす汚れた階段は、世界樹からできていると言われても信じられないくらいに、へんてつもない階段だった。
階段を登りきったふたりは、風を感じた。残酷な赤い空が見える。外だ。
壁のない寺院を風が吹き抜ける。天井は世界樹が生やす葉っぱ。緑ゆたかな自然の天井だ。
巨大な枝の通路は歩きやすいよう整えられており、その先、頂上の中心地にはフラスコのような巨大な透明のドームがあった。斜面には口がついており、何かを出すために作られているように見えた。
「うわあ!」三太が大声を出す。
「あった! あれでしょ!」
 三太とマノンは手をつないでよろこんだ。そのはしゃぎようは、ぼろぼろの宝の地図ををたよりにやっと宝物を見つけた子供のように、幼く、純粋なよろこびだった。
「これが起動ボタンだ」三太の笑顔は疲れていたが、うれしそうだ。
「オレンジはどこにいるんだろ? これを押せば、サンタの世界を浄化して、みんな元通りになるのね」
「一緒に押そう」
 せーの、と声を合わせるふたり。「――あ待って!」急に三太が大声をあげる。
「なに」マノンは驚いて体をすくませた。「敵?」
「あのさ、その……えーと」
「どうしたの」
 三太は口を開けては、閉じ、息を吸っては吐き出した。何かをためらっている。やがて顔に力が入ったかと思うと、まっすぐにマノンを見つめた。
「マノンちゃん。ひどいことをいっぱい言ってごめん。君の家にラベンダーを訪ねて行ったときは、ただの人間だと思ってた。足手まといだと思ってたけど、実際は、君がいなかったら……ぼくは死んでた」
「わたしはなにもしてない。それどころか、ジャマになってた。わたしがいなかったら、サンタ界だってもっと早く探せていたし、きっと、もっとうまくいってたはずだわ」
「だとしても、ぼくは君に助けられた。あのとき、ぼくが工場でマグマの中へ落とされそうになったとき、マノンちゃん、君が念力を使わなかったら、ぼくは死んでたんだ」
「わたしが? そんなことできないよ」
「やったんだ。あれは確かに念力の感覚だ」
 マノンは信じられないという顔で、まるで妖精でも見たように口を開けている。何かを言おうとして、でも言葉が出てこなくて。
「ありがとう」三太は言った。歯を見せて、笑いながら。でも恥ずかしそうに。「人間を見直したわけじゃないけど、マノンちゃんみたいな子もいるって、思い出せてよかった。ありがとう」
「あ……。うん」
 自分の気持ちだけで動いてしまったこと。人間界のことだけ考えていたこと。精霊には精霊の世界の事情があるということ。ハーデスに教えられたこと。オレンジのこと。ペパーミントのこと。三太のこと。マノンは言おうとして、でもいろんなことが複雑にからまって。気持ちが胸から口に上がってくるまでも、言葉にならずとけてしまう。
 素直によろこんでいいのか、わからない。でも、マノンの中で救われたものも確かにあった。
非物質界の住人に認められた。
いままで霊が見えるせいで、バカにされてきた。良いこともあったし、イヤな思いもたくさんしてきた。自分の能力を恨んだこともあった。それでもがんばってしまう自分の正義感の強さに、日々苦しんだ。三太の言葉で、マノンは心のどこかに詰まっていたものが取れた。
「わたしもありがとう」感謝の言葉で返したマノン。「さ、今度こそ押しましょ」
 せーの、でボタンを押したふたり。
何が起こるかと期待したマノンだが、芳香器は動かず、そのまま十秒が経過した。
「どうして何も起こらないんだ?」
 不安そうに声を出す三太。マノンは動かない芳香器について考え、はっとした。
「あ、だって、精油を入れてない、あたりまえよ」
「あ」
 見渡せば、芳香器から少し離れたところに棚が並んでおり、たくさんのビンがしまわれていた。
「あれを持ってきましょ」
 ラベルを見ていくつかビンを持ってきたふたり。マノンは精油の調合をしていた。芳香器の側にあった器に精油をたらし、ガラス棒でかき混ぜている。
「ペパーは、確か自分の香りがマイナデスコールに有効だって言ってたわ。ペパーミントをメインに調合してみよう」
「だったら、ペパーミントをいっぱい入れればいいんじゃん」
「精油はシナジー効果(相乗効果)があるから、ブレンドしたほうがいいの。霊のくせにそんなことも知らないの? 人間より科学が進んでるんでしょ」
「うるさいな、知ってるけど、ちょっとぼーっとしてただけだよ」
「わたしも頭が痛い。早くしなきゃ」あわてたマノンは器をこぼしてしまった。器を立てようと手をのばしたが、器とはちがうところに手がいっていた。すぐに器をつかんだが、落としてしまう。手がふるえていて力が入らない。
「ぼくがやるから、指示して」
「ありがとう。じゃあ、ペパーミントをストップって言うまで入れて」
 マノンはそれから、次々に精油の名前を言っていった。ミルラ。シナモン。フランキンセンス。カモミーユ。サンダルウッド。ユーカリ。ティーツリー。ラベンダー。ゼラニウム。
そのたびに三太はないビンを棚まで取りに行き、マノンの言うとおりブレンドした。「うーん、まだまだねえ」と言ってはビンを取りに行かせるマノン。
そうそう、ラベンダーを入れるならオレンジもね。入れなきゃかわいそう。オレンジのビンを持ってきて、と言われた三太は気分でブレンドしているんじゃないかと疑った。
三太がオレンジのビンを取りに行っている間に、マノンは香りを確かめた。
あまいような。でもシャキッとするような。
個性ゆたかな花たちが、子供みたいにパーティーするようなイメージ。
においを吸うたびに味が変わり、ちがった世界を見せてくれる。ケンカするほどわんぱくなにおい。ひどくおちこんで、かなしいにおい。自分をもっと好きになるような気取ったにおい。存在するどんなお菓子よりもあまい、恋のにおい。
ふとマノンは、めまいと手のふるえがおさまったことに気づいた。
マイナデスコールの酔いが軽減されている。これだったら、イケるかもしれない。しかし。
 父親ゆずりのガンコさを持ったマノンは、オレンジ精油の到着を待った。完璧にこだわりたい。同時に家族のオレンジについて考えた。いつもはチャラついているくせに、マジメなときはマジメ。でもイジワルなときはすごくイジワル。精霊のくせに、キリスト教や他の宗教の精霊のイメージとはまるでほど遠い。ほおを殴られたら笑って殴り返すような、そんな悪魔に近い――人間に近い精霊。でも、だからこそ親近感さえ感じる。
 はぐれちゃったけど、サンタ界を浄化すればきっと大丈夫だよね。
 しばらく待ったマノンは、いつまでも三太が来ないことを疑問に思った。
 オレンジ精油を探すのに手間取っているとも思ったが、もしかしたら症状が悪化して倒れているのかもしれない。様子を見にいこう。
 サンタ語と思われる記号が書かれた棚がずらりと並ぶ。どの棚にも精油の入ったビンがしまってあり、たくさんの匂いがまざった空気は虹みたいにきらめいていた。
 これだけあればもしかしたら、人間界に咲かない花から取れる精油もあるかもしれない。
 興味がわいたが、いまはそれどころじゃない。三太を探さないと。
 棚は左右に列を作って並び、20台近く棚を通りすぎ、アルファベットのLに似た記号がしるされた棚へ通りかかったとき。
 仰向けで倒れている三太を発見した。
「三太くん!」
 やはりマイナデスコールが全身にまわってしまったのだ。
 急いで近づいたマノンは、そこで思考が停止した。三太は白目をむいていた。首が切り裂かれ、大量の血を流している。
 死んでいる? いや、まだ助かるかもしれない。こういうときの対処法をなにかの本で読んだ気がするけど、だめだ。ぼやけて思い出せない。三太くんが、どうしよう! 救急車を呼ばないと。でも、ああ、えっと、ここはサンタ界だ。ふつうの人間は来られない。どう、どうしたら……誰が三太くんをこんな目に。
 ビッグ・サンタはもういないし、他のサンタたちもここにはいない。なら誰が――
 至上主義者だ。いままで潜んでいた植物至上主義者が、わたしたちのジャマをしに来たんだ。いま、この精油棚のどこかの列にいるはず。
 あともう少しで、このひどい世界を浄化して元どおりにできるのに。ジャマはさせない。マノンは走った。みんなの犠牲を無駄にはできない。この世界を救うんだ。
 芳香器が見えてきた。あれにブレンドした精油を流しこんで稼働させれば――マノンが精油棚から出ようとしたとき、横から影が現れた。立ち止まれずにぶつかる。
「きゃあ!?」
 おもいきりぶつかったマノンは跳ね返され、床に尻もちをついた。敵だ。早く起き上がらないと。痛みをこらえ急いで体を起こそうとして、はっとした。この匂いは……。よかった、無事だったんだ。あぁ。
「オレンジ。無事だったんだ、よかった。聞いて、ここに至上主義者が潜んでるかもしれないの。三太くんを助けないと……」
 オレンジはなにも言わなかった。

 あ。

 目が自然とオレンジの口に動いたとき、マノンはわかってしまった。
 どうして口から血を流しているのか。なぜ何も言わないのかも。
「オレンジ」
 むかれたキバは容赦なく、マノンに向かってきた。目の焦点は合っていないのに。それは運命の赤い糸でも結ばれているように。
 尻もちのまま後ずさりしたが、すぐに追いつかれたマノンはそのままもみくちゃにされてしまう。強引な力でひっぱられ、するどく伸びたツメやキバを立てられる。
「ッツ! やめぅて――おねがい、オレンジ! いたい、や、めて」
 あともう少し、もう少しでサンタ界を救えるのに。
 こんな、こんな終わり方あってたまるか!
 オレンジをけとばしたマノンは、肩を押さえ、ふらつきながら芳香器へ走った。精油を芳香器へと流しこむ。そして稼働ボタンに指が触れる直前、「があはっぅア」頭が割れそうな痛みに襲われた。幽体離脱時の肉体ダメージが、霊体に響いてきているのだ。
 後ろからオレンジに強く抱きしめられたマノンは、そのまま首筋にみりみりとキバを食いこませられ。

 気をうしなった。