ラベンダーさんの育て方

植物擬人化小説

第11輪 ひとりっきりで

名前がないの? それは不便ね。
じゃあ私が名前をつけてあげる

ミンテ


そうよ、ひとりぼっちの女の子。
何千年も生きている。ニンゲンさまの奴隷なの。
出会った人間は数知れず。両手で数えるくらいのもん。
ソロモン、ジャンヌ、モーセにカエサル。
ナザレのイエスも忘れないでね♪

白人、黒人、黄色人種、ニンゲンがニンゲンあざ笑って、
何の意味になるっていうんさ♪

解放、独立、資源の確保、平和、宗教、正義心。
人を殺すのはいいやつばっか。
悪人はずる賢いが、奴らは戦争しないだけマシ♪
正義にゃ歯止めが効かないもんさ。罪悪感だけが抑止力♪

そうよひとりぼっちの女の子。
何千年も生きていく。この星だけが家族なの。
出会った精霊は数知れず。どいつもこいつもワーカホリック。
『乳香』、『リンゴ』、『真の薫香』。
忘れるな、ヤツらはニンゲンに魂を売ってる♪

悪魔のほうがよっぽど聖人ね♪


森の中に調和するように佇むログハウス。
ラベンダーはクレッセントの自宅にいた。枕に顔を押しつけている。三日月地帯《クレッセント》。人間の世界では肥沃な三角月地帯と呼ばれる場所だ。かつてのこの土地には人間界でも豊かな森があったが、度重なる伐採により縮小し、霊界でもわずかな森を残すばかりとなった。

自分が生まれたクレッセントの森に帰ったのは、誰かに甘えたかったからだ。よく頑張ったね、ゆっくり休みなさい。そう言われたかった。

しかしこの家はラベンダーしか住んでいない。誰かに抱いて欲しい、自分の弱さが生んだ妄想に甘えそうになる。ラベンダーはいらついた。甘えたい? そんな脆弱だからアロマ連合でも居場所がないのだ。

ラベンダーは涙でぬれたまくらをぶん投げた。後ろでがちゃんと花瓶が割れる音がしたが、無視した。
精霊は家族がいない。人間と違って肉体や血の繋がりがないからだ。気づいたら自我を持ち、そこに存在し始めるのだ。強いていうならこの星こそが家族であり、母だ。ペパーミントのように精霊同士が交わった結果生まれる霊も確かに存在するが、少数だ。

ラベンダーのように自然に生まれた霊には、家族がいない。ラベンダーは悲しんだ。次元を超えた友達、そして姉、あるいは母のように慕う存在もいたかもしれないが、忘れた。やはり最初からいないのだ。出会ってないことにしたほうが、気が楽になる。

ラベンダーがベッドから顔をあげると、輝く亜麻色の髪が目に入った。精神が不安定になると、いつもこの姿になってしまう。いくら集中していても他のものに変身できないくせに、この姿には無意識でもなれる。百年以上も練習し続けたから当然だ。——いや、無意識でもこの姿になってしまうのは自分に甘えがあるからだ。心が弱い証拠だ。もういない存在に頼って、自分を正当化したい。結果も出せないくせに頑張ったと褒められたい、それは弱い証拠だ。

この姿で生きていた少女は、とっくの昔に死んでいる。三年ほど一緒にいただけなのに、何百年経っても忘れがたい存在だ。

心を通わせた友だった。彼女のためなら死ぬこともできたし、どんな敵にも立ち向かえた。

ラベンダーは自分の元の姿に戻った。黒みがかった紫の髪が目に映る。他のことを考えよう。上体をゆっくり起こすと、暗い影を落とした顔に急に暴力的な光線が当てられた。攻撃を受けていると思い即時に体を強張らせたが、ちがった。
部屋の吹き抜けの上、天井付近に位置する丸窓からすうっと明かりが差しこんでいただけだった。

恐怖で汗が全身からにじみ出ていた。とっさに防御用の香りを出したが、これがまためちゃくちゃな香りだった。防御効果なんてまったくない、ただ大量の青臭い匂い。こんなのでは魔法はおろか、金縛りや念力すら防げない。それどころか銃弾や武器でさえ貫通されるだろう。虫除けには便利だろうが。

思いどおりの香りが出せない。いくら情緒不安定になっていたとはいえ——自分で自分の状態をはっきり言葉にしたせいで、すんでのところでこらえていた心のバランスが完全に崩れた——マスターである自分が香りをコントロールできないなんて。

胸が勝手に膨らんだ。酸素不足で水中から顔を出した魚みたいに口がぱくぱく動くと、肺が一定のリズムで小刻みに膨張と収縮を繰り返した。目が力なくしぼんでいくのがわかった。水分が抜けて乾いていく。ただ感じるのは悲しみでも絶望でもなく、心がなくなってしまったような倦怠感。はっきりと現実を突きつけられているようだった。ここらが潮時だと。

受け入れるつもりなんてなかった。この事実とはいつも向き合ってきたし——本当は向き合ってなどいなかったのかもしれない——修羅場を乗り越え勝利を手にし、キャリアを築くことで常に否定してきた。しかしたった今、受け入れてしまった。

地位はマスターでも、実力がないことを受け入れてしまった。
普段の強く清らかな状態の自分であれば、軽くあしらえただろう。しかし、逃げ場所を絶たれ社会から隔絶されて虐待され続けた子供のようにへし折られた心の状態でも、できると思った香りのコントロールさえできない。その事実を、跳ね除ける元気がいまの自分にはもうない。疲れた。何もかもに。

引退だ。地球を救う、そんな大きな夢を持っていた自分がばかばかしい。戦う以外にも、アロマ連合以外でも道はあったのに。音楽家として、あるいは画家としての道だってあったのに。それか他にもいくらだって安定した仕事はあった。

好きな人と一緒になって——ごめんなさい、ベルガモット様——子供を作って、家庭を築いて、毎日楽しく暮らしたりすることだってできたはずなのに。勉強を教えたり、ゲームしたり、家族みんなで歌を歌ったり、旅行したり。いろんなヒトを呼んでパーティをしたり。

ああ、でも、いまからそれをするのは、もう無理。何も考えたくないし、ひとりでいたい。誰とも関わりたくない。誰も知らないところ、私を知るヒトがいないところへ行きたい。そこでしばらくゆっくりしたい。それからのことは——おいおい考える。

とりあえずは……コーヒーでも飲もう。
そう思い立ち上がり——異変を感じた。

遠くから誰かが呼んでいるような。いや、実際に声が聞こえる訳ではない。ただ、心が細く引っ張られるような感覚。最初は気のせいだと思った。いま私は不安定だ。ヒステリックになっている——自分で言葉にしてまた傷ついた——思いこみが激しく、そう思っただけかもしれない。

しかしキッチンに立ったとき、また異変を感じた。今度ははっきり、先程よりももっと強く。心もそうだが、体の細胞が引っ張られているような感覚。細胞レベルでつねられているようで、くすぐったいようなチクチクとする痛み。

霊視しても攻撃されている風には見えない。とうとう私は幻覚、幻の痛みを感じるようになってしまったのだろうか?

水をポットに入れ、火にかけている間も痛みやこそばゆさはどんどん強みを増していき、無視できないものに膨らんでいった。

コーヒー粉の入ったフランネルに沸かした湯を入れたのはいいが、痛みがひどくて動けない。まるで全身に目には見えないぐらい細いヒモでもくっつけられて引っ張られているみたいだった。引っ張られてる方向にでも歩いて痛みがなくなればいいが、全身がありとあらゆる方向に引っ張られていて——このまま痩せてスレンダーな体型にでもなったらいいのに——ハリセンボンにでもなってしまいそうだった。

激しい痛みは振動をともない、どんどん強くなっていく。

激痛に唇を噛み締めていたとき、私ははっと気づいた。
この痛みには覚えがある。かつてミカエルに召喚されたときの痛みによく似ている。誰かが私を召喚しようとしているのだ。しかし、ミカエルのときはこんな痛みはなかった。痛いは痛かったが、快楽にも似た不思議な痛みだった。コーヒーの心地よい苦味に似ている。

意識が飛びそうな中、私は感覚を研ぎ澄ませる。まぶたを閉じ、見えない何かを視ようとした。鋭い痛みの曲線が火花を散らす中、集中し続ける。やがて『真の薫香』の黒髪が見えた。

学長が私を呼び出そうとしているのか……? 本当にそうなのかはわからない。だが、確かに『真の薫香』が見えた。もしかしたら、世界大戦が手に負えなくなって、私の力を必要としているのかもしれない。——精油計画のことで叱責されるという考えはこのとき頭から抜け落ちていた——痛みが歓喜に変わる。最初からそうすれば良かったのだ! 私をのけものにするから自分たちが困るのだ。気持ちが高ぶり、陰りを落とした顔に喜びが広がっていくのがよくわかる。

しかし、マスター・オリバナムほどの実力者の召喚なのに、なぜこれほど気持ち悪い痛みがするのだろうか? やはり、仕事をサボっていたことに対する罰なのかもしれない。まあ、世界大戦に参戦できるなら、この痛みも私のやる気を引き出すサプリメントになる。

よし、やってやるぜ。カップに注いだコーヒーを一気に飲み干し、袖で口をぬぐう。
ドンとカップをレバノン杉でできた年季のあるテーブルに置くと、私は私を捉えるエネルギーの流れに身を任せた。

次の瞬間、私の姿は次元を超えた。姿は消え、召喚者の元へ飛び立った。

希望と絶望、不安と安心が入り混じるフライトだ。まだ私を必要としてくれるヒトがいる。世界の均衡を保てるのか。植物の霊と戦うことになるのか。自分には何か変えることはできないのか。

ひとつ言えることは、私はこの召喚に後悔した。ひどい召喚酔いがあり、暴風に殴られ、もみくちゃにされながら二度と帰ってこれないような異次元に墜落する恐怖と戦わなければならなかった。