ラベンダーさんの育て方

植物擬人化小説

第17輪 マイナデスコール製造工場

夢ぐらい見せてあげたいよ。でも、ぼくも人間のやり口にはいらいらしてる。どうしようもなくなって、やりきれない。それでも、やっぱりぼくはサンタだから。一生懸命求めてくれれば、あげるよ

三太

 

マノンとバケモノ


マノンが起き上がったとき、エレベーターの中には自分だけしかいなかった。
みんなはどこへ行ったのだろう……。
オレンジ? ペパー? 三太くん?
急に背筋が凍り、お腹が痛くなってきた。どうしてみんないないの?
そうだ、いまの時間は?
時計を確認したマノンは青ざめた。すべての針が好き勝手に、不規則に動いていたからだ。あまりの怖さに身の毛がよだった。これでは時間がわからない……
プシュッ。
いきなり音がしたので心臓が跳ね上がる。ドアが開いたのだ。ドアの外は暗闇で何も見えない。何かが引きずって歩くような音だけが聞こえた。
エレベーターの中は明るい。このままでは向こうから丸見えでマズいと思ったマノンは、勇気を出して踏み出した。
ネズミにでも変身したかったが、もし変身したら銃を運べなくなる。マノンはなるべく姿勢を低くして歩いた。自分の心臓の音が聞こえる。それほど静かだ。
ここはどうやらオフィスのようだった。デスクの上には書類の束が雑然と置かれ、タイルカーペットの床にはペンや消しゴムといった文房具が転がっていた。
 何かの気配がする。でも姿が見えない。デスクの陰にかくれて様子をうかがった。
すぐ近くで空気がゆがんだのがわかった。見えないのに、誰かがいる。
マノンは気になって霊視してみた。視えたのは、頭に目のいっぱいついた首の長い人間だった。恐怖でパニックになりながらも、すんでのところで声を飲みこんだ。
カラン。
マノンの足に当たったペンがデスクにぶつかった。
あ。
怪物はマノンに向かってきた。
「ひゃっ」あっさり捕まったマノン。怪物は筋肉の繊維が見えた赤い手でマノンの首をつかみ、天井近くまで持ち上げた。
 く、くるしい……たすけて。らべんだぁ。
怪物は大きく大きく口を開く。深淵で絶望が手招いている。
ラベンダーは、来ない……。そんなの、最初からわかってた。
あのときだって、来なかったのだから。あのとき? あのときって、いつだったっけ?
ラベンダーはいつもわたしを助けてくれる。来なかったことなんか一度もない。ちょっと頭がおかしくなってるんだ。
マノンは引き金を引いた。「うごぉ」怪物は倒れ、体が自由になった。
「あ、あっ、っあぁ」酸素と共にマイナデスコールも吸いこんだが、体にまとっていたペパーミントの香りが少しだけ中和してくれた。
 とにかく、こんなところで死ぬのはごめんだ。わたしはまだ、死ぬわけにはいかないんだ。まだ何も、この星に貢献していない。
オフィスを走り、ドアを開けた。
となりの部屋は小屋みたいなところで、獣臭い匂いがした。床にはワラが散らばっている。サンタとトナカイの死体もたくさんあった。食いちぎられた跡がいっぱいあって、首だけになっても目を動かしている者すらいた。せまい一本の通路の奥からフシュウ、フシュウと荒い鼻息が聞こえてくる。
マノンは先へ進むのをためらった。
ドン。
あの怪物がドアを挟んですぐ後ろにいる。マノンは走った。
すると、両側の柵からトナカイのゾンビたちが首を伸ばして襲ってきた。
トナカイたちは柵を壊してマノンを追いかけてきた。タカッ、タカッ、タカッ、と迫ってくる。せまい通路から暖炉やソファのある談話室のようなスペースに出ると、見上げるほどに大きな白いトナカイがいた。
後ろを振り向く。
目がいっぱいの怪物と、トナカイたちがもう目と鼻の先だ。前から白いトナカイが前脚を伸ばした。マノンは慌てたせいで銃を取り落とす。
あ――。
マノンの体よりも大きい前脚が――。
髪が乱れた。
顔を通り過ぎた白い前脚は、後ろから迫ってきた怪物とトナカイたちに強烈なスマッシュをあびせた。
マノンは腰を抜かした。助けてくれた?
「大丈夫かい? おやあなた、見たところ人間だねえ」
「……」
 白いトナカイは優しくマノンに覆いかぶさった。
「非物質界で人間を見るなんて、久しぶりだねえ。でも、せっかく来てくれたのに何のおもてなしもできなくて悪いね。私はケオロウ。トナカイたちの長」
 理解が追いつかないマノンをよそに、白いトナカイはひとりごとのように話し続けた。どこか楽しそうだ。
 ブモォォゥ! シルクのようにやわらかい毛の外から、狂ったトナカイたちの野太い声が聞こえる。
「どうしてあなたは、まともなの?」
「まともだと言えるかどうか。そこで死んでしまったサンタたちも、マイナデスコールに耐えられる強靭な精神の持ち主たちだったが、皆ここで力尽きてしまったよ。最期が自分のパートナーに殺されるなんて、皮肉なもんだね。わたしも、もうすぐおかしくなってしまうだろう」
 ケオロウはどこか達観していて、魂に直接語りかけてくるような話し方だった。
「あの、あなたは、わたし――」
「言葉にしなくともわかる。あなたの友達は、みんなバラバラに飛ばされてしまったよ。だけど、この樹のどこかにいるはず。探しなさい。そして、頂上を目指しなさい。そこにある芳香器を使えば、もしかすればサンタ界の浄化ができるかもしれない。本当は私が行けたらいいのだけれど、もう体が動かない」
「でも、どうやって行けばいいか……」
「道は作ってあげる。耳を塞ぎなさい」
 ラァァァアアアン
 上に向かって咆哮したケオロウ。ケオロウを囲んでいたトナカイや集まってきた怪物たちが、風圧で吹き飛んだ。世界樹全体を揺るがす大轟音は不思議と静かで、なのに、その声は天井をいくつも突き破り、中層まで続く道を作った。
「さあ行きなさい、地球の子よ」
 ケオロウの体から出たマノンは、ケオロウの虹色の瞳を見つめた。
「ありがとう……」
「早く」
「――、おたっしゃで」
 ニワトリに変身して飛んでいくマノンにケオロウは言った。
「フフ。それはあなた次第」
 起き上がったトナカイや怪物たちが、ケオロウの体を食べ始めた。

いままでは、オレンジもペパーも三太くんもいた。
でも、ひとりになってしまった。
マノンは一直線に上に向かって飛んでいた。オレンジの香りの効果が切れてきたからか、翼が鉛のように重たい。脳が体内に隠れていた疲労を認識し始めていた。
銃はもうない。持っていたらうまく飛べないので置いてきた。いま襲われたら、今度こそ成す術なく殺される。
オフィス、談話室、図書室、見たこともないヘンテコな機械や道具が置かれたソリのガレージ、なぞの生き物が入った透明のカプセルだらけの部屋、レストラン、魔法陣や複雑な図形が描かれた白い清潔な部屋を抜けると、マノンはやたらに広い空間に踊り出た。
いま通ったのが、ケオロウが空けた最後の穴らしい。この大きな空間の天井に穴は開いていなかった。
途中、サンタたちに見つからなかったのは奇跡だった。刺激に敏感なサンタたちが、あれだけの大音響に反応しないはずはないのだが、ケオロウの咆哮に吹き飛ばされたか、恐れを成したのだろう。とにかく幸運だった。
羽ばたきながら見渡すとそこは、何かの工場なのか、機械で埋め尽くされていた。歯車、パイプ、タンク、クレーン。灰色だらけだ。サビた茶色いパイプから白いガスが噴出し、当たったサンタが「ぴぃぃぃ!」とわめいて手足をばたばたさせている。
マノンの胸の中で、何か気持ち悪いものがうごめいた。真っ黒で、どうにもならないグチャグチャしたもの。すごく不快な気持ち。
ベルトコンベアは地面から天井までのどの高さにも張りめぐらされており、上に流されているのは、どれも得体の知れないものばかりだった。ドリルの集合体のような緑色の物体、ネバネバ動く銀色の球体。アフリカのドゴン族が被るウサギのような仮面を着けた、コミカルにダンスする人形。歯の生えた本、押してはいけないボタン、『黒死病』と書かれた透明の小瓶。それから、見ただけで触ってはいけないとわかる黒いカタマリが運ばれていた。あとは“植物至上主義者に関する調査報告書――著:ガジュマル”、“OBAKE計画――著:オーキド”、“ラインズオブテラ――著:『悪の華』”といった極秘文書も。
どうやら、ここはプレゼントの生産工場らしい。どのプレゼントも、もらいたくない不気味なものばかりだったが、一番多いのはクリームにイチゴソースをかけたような液体が入った缶だった。巨大な機械から缶に注入されて、大量にベルトコンベアに流されている。
マノンは直感で理解した。あれはおそらく、マイナデスコールだ。この不快な気持ちの正体はマイナデスコールだったのだ。他の部屋とは比べ物にならないくらい濃度が高い。狂気に呑まれたサンタたちが、せっせと機械を操作して作っている。
まだペパーの香りの効果があるとはいえ、早く離れたほうがいい。
そう思ったとき。
ベルトコンベアの上で、見慣れた赤い服の子供が倒れているのを見つけた。

――三太くん!?

すぐに飛んで行きたかったが、下から発砲音が聞こえ、マノンは側にあったベルトコンベアに着地した。姿勢を低くする。マノンに気づいたサンタたちが銃で攻撃を始めたのだ。三太のいるベルトコンベアは工場の真ん中を流れており、もっと下のほうだ。
マノンの頭に、前にラベンダーから見せられた映画のワンシーンが思い浮かぶ。こういう工場のシーンでは、主人公たちは危険な目にあうのがお約束だ。しかしマノンは落ち着いて考えた。ここはプレゼントの生産工場だ。危険なプレス機械もなければ、溶鉱炉もない。
と思いたかったが、三太の行く先にはプレス機械もあれば溶鉱炉もあった。
ガシャン、ガシャガジャガッ――。
 後ろを向けば、迷彩服のサンタたちがこちらへ歩いてくる。
 早く三太を助けなければ。しかし飛んでいけば銃で撃たれてしまう。
人間の姿に戻ったマノンは、コンベアをまっすぐ進んだ。急な坂を下り、となりのコンベアに飛び移る。
あともう少しなのに……。
3つあるうちの最初のプレス機械の下に三太が入ろうとしていた。
このままでは間に合わない。どうすれば……。
そこでマノンは、機械を操作するサンタを見て思いついた。動力を止めればいいんだ。
ニワトリに変身したマノンはダッシュで飛んでいく。翼に銃弾が命中した。
「ぁがッ――」経験したことのない痛みにもだえるマノン。変身が解け、背中から機械を操作するサンタにぶつかった。サンタは20メートル下の床へと落下した。
「ぁあ……」信じられない激痛に涙を流しながら、マノンはボタンをながめる。いっぱいあって、どれを押したらいいかわからない。適当にボタンを押したら、プレス機械は止まるどころか、早く動くようになった。慌てていま押したボタンのとなりを押すと、元の速さに戻った。そうこうしているうちにベルトコンベアの速さが3倍になり、三太はプレス機械の下に入った。
 プレス機械は止められなかったが、コンベアの速さのおかげで三太はプレス機械を無事に超えることができた。ほっとしたのも束の間、プレス機械の先はもう溶鉱炉だ。コンベアを止めないと今度こそ三太はおしまいだ。
突然マノンは、うつぶせに倒された。3人の迷彩服のサンタに取り押さえられた。
待って、いま止めなければ、三太くんは溶鉱炉に落ちちゃう! 必死に暴れるも、サンタたちは逃がしてくれない。
「三太くん、三太くーーーん!! 起きて、お願い! あなたが起きなかったら、誰が子供たちにプレゼントを届けるの!? 三太くーーーん!!」
 押さえつけられたマノンには、赤い服の三太がまるで、夕陽のように思えた。人々を照らし続けた太陽は、ゆっくりと、でも一瞬でコンベアから地平線の彼方へ沈んで消えた。
マノンは手を伸ばし叫んだ。その手は決して三太に届くことはないのに。
「やめてぇぇぇ!!」
 サンタたちはマノンを仰向けにし、マイナデスコールの缶ジュースを飲ませようと口を開かせる。
「やめふ、やめて! いや、いやあああ!!」
 怖くて目をつむった。しかし、缶ジュースが口に注がれることはなかった。代わりに、バキ、ボコ、という鈍い音が聞こえる。
目を開けると、赤い服の子供が立っており、迷彩服のサンタたちは消えていた。下からカラン、ガシャンと金属音が響いたので、落ちたことがわかった。
「どうして!?」
「ぼくもわからない。ただ、目を開けたら溶鉱炉が目の前にあって。なのに……運よく、助かった」
「ありがとう」
「お礼を言うのはこっちだよ。君の声が聞こえた。それで目が覚めた」三太は頭を押さえた。「くらくらする、ここは濃度が高い。オレンジとペパー皇子は?」
「ふたりはまだ見つかってないの!」
「早くふたりを見つけて、香りをもらわないと、ぼくたちもマズい。くそ、安易にエレベーターに乗るべきじゃなかった。人間界ならまだしも、まさかあんな現象が起こるなんて、低次元を甘く見てた」
「さっきケオロウってトナカイに会ったんだけど――」
「ケオロウに会ったの!? ぼくたちでさえ滅多に視えないのに」
「それで、世界樹の頂上を目指せって言われた。そこにある芳香器を使えば、サンタ界の浄化ができるって」
「芳香器が設置してあるの? そんな話、聞いたことないけど……」
「でも、ケオロウが言ってた」
「……わかった。信じよう。もし浄化する方法があるんなら、アロマ連合の介入も防げる」
 おいで、そう言うと三太は操作盤から離れ、通路を通ってドアを開けた。よろける足取りは弱々しく見えた。
ドアの先は食道のような通路で、赤い肉の壁に青く浮き出た血管が気持ち悪く、歩くたびに生々しい感触がして吐き気がした。
「いまの話が本当なら、まずは管制室へ行って結界を張ろう。そのほうが、香りが散らばらず効率的にサンタ界を浄化できるはずだ」
「あのさ、さっきの工場なんだけど、クリスマスおじさんって、あんなもの作ってるの?」
「そんなわけない! ――まあ、疲れたときに冗談で、人間に核でもプレゼントして滅ぼしてやろうぜって言ったりするけど(マノンはおびえた顔になる)、ぼくらが人間にプレゼントするのは、非物質だよ。形のないもの。正確にいえば形もあるけど、まあいいや、勇気とか、アイディアとか、そういったものだよ」
 いまの三太の言葉に、マノンにはもう、流す涙もなかった。ただ、人間ってゴミだなと自分でも思った。
「でも、マイナデスコールを作ってた」
「みんなマイナデスコールに侵されてるんだ。世界樹も変わり始めておかしくなってる、本来ここの通路はこんな肉の壁じゃない。まだ地形が変ってないのが救いだ」
「管制室はここから近いの?」
「すぐに――ちょっと待って」
 三太は何かの気配に気づき、通路に積み上げられた段ボールに隠れた。マノンも続く。
離れたところのドアがゆっくり開く。出てきたのは、眼帯をした白ひげの大男だった。
あいつだ。マノンは両手で口をふさいだ。息を止めて気配を消す。しかし心臓はバクバクだ。
ビッグ・サンタは、しばらくあたりを見まわすと、ドスドスと去っていった。
 いなくなってもしばらくじっとしていたふたりは、安全を確信してから、ようやく声を出した。
「ぼくたちを探してるんだ」
「どうして?」
「マイナデスコールに侵されてない健常者だから、敵と思ってるんだと思う。半分侵されてるようなもんなんだけど。オレンジたちがいたら、匂いでたぶん見つかってた」
「先を急ぎましょう」
「……大丈夫?」
 三太はマノンの腕の銃創に気づいた。「ちょっと我慢してね」透視して銃弾の位置を特定すると、念力で圧縮して取り出す。銃弾によってさえぎられていた血液が流れ、傷口から噴出した。
「――ぅう!」三太は手早く包帯を巻く。「覚悟はしていたわ」青い瞳がうるうるだ。
「強い子だね。…………。見直した。いままでごめん」
 その言葉に、マノンの中で何かが救われた。
「行こう、管制室に」三太はやさしく笑う。