ラベンダーさんの育て方

植物擬人化小説

第1輪 ラベンダーさんとオレンジくん

 『黄金のリンゴ』はいいよな
 きっと女にモテまくりなんだろうぜ

オレンジ 

 

1つのオレンジ

 

 

 人ごみあふれる街の中――笑い声やお店の売りこみに混じって、かすかにすすり泣くような、声にもならない音がありました。

「おねえさん、どうして泣いてるの?」

 一瞬ビクッと震えたあと、そっと顔を上げると、そこには太陽のように明るい雰囲気の小年がいました。ぽけっとした顔でたたずんでいると、少年は手を握り、やさしく笑いました。

「おねえさんがそんなだと、オレまで悲しくなっちゃうよ。
 ほら、笑ってるほうがずっとかわいいよ? 元気だして!」

 少年の手から伝わってくる不思議なあたたかさが胸に染みこみ、ドロドロとした何かを溶かしていくようでした。何が起こったのか理解しようとした時には、少年の手はもう離れていました。

「それじゃ、もう行くね」

 バイバーイと手を振り去っていく少年に、ハッとした女性はあわてて声をしぼり出します。
 すると、少年は足を止め、振り返って言いました。

「オレンジ・スイート」

♪♪♪

「うっわキモッ!」
 ゲラゲラと笑う少女に、太陽のように顔を真っ赤にしたオレンジはこぶしを震わせていた。 かんべんしてくれ。

 さかのぼること数分前――

 年季の入った木の香りがする一室で、オレは横になっていた。今日みたいなカラッとした空気は大好きだ。とても過ごしやすい。窓から差しこむ陽の光も歌っているようで、とても心地いい。もう11月だってのに、フランスらしい良い日だ。
 こうやってお日さまの作り出す光の毛布に包まっていると、ついこないだ世界大戦が起こったことなんて忘れちまいそうだ。植物界の朝のニュース番組で小倉さんが言ってたが、一週間前――先月ニューヨークのウォール街で株価大暴落があったせいで、人間界ではこれから世界恐慌が始まるらしい。だが、悪魔も一瞬で浄化されてしまいそうな素晴らしく心地の良い天気の中にいると、そんなことどうだってよくなるなぁ。
ま、天気というのは気まぐれなところがあるが。
 気持ちよくまどろんできたところで、ドタバタと階段を駆け上がってくる下品な音が聞こえてきた。オレは相手が誰だかわかっていた。

 ――寝かせてくれよ。いや、もう無視して寝よう

 チャダッと勢いよくドアが開かれ、数瞬。どうやらそのまま動きを止めたらしい。
よし、そのまま帰ってくれ。泥になった意識で思っていると。
「オレンジ・スイート」
 バッと振り返りポーズを決めた少女は、ゲラゲラと笑いだしたのだった。深淵の底へ落ちかけていた意識が一瞬で覚醒する。ふがっ、と情けなくのどを鳴らしてゲホゲホむせていると、オレのことを蔑む目で見下ろしてくる白いワンピースの少女が目に入った。
「こっれ恥ずっ、これはないわ!」
 腕をわさわさとさすりながら顔を赤らめている少女は、すごく楽しそうだった。
バカにされているオレとしては、シャクに触ることこの上ないが。
「な、なぜ知ってる!?」そう問いかけると、少女はすずしげに「見てたから」と返した。
「そうじゃなくて、今日はドヌーヴのばあさんに精油を届けるんじゃなかったか?」
「用事で出かけてるって小鳥たちが言ってたから、明日行く」
 それで暇になって街を歩いていたら、オレ様がいたので後をつけていたらしい。
「ストーカーだぞ!」言い返すと、あわい紫色の髪の小娘は、やれやれとシニカルな笑みを浮かべた。
「昼間っから女ナンパしてるやつが、よく言うわ」
「あれはパトロール! 人々を助けるのが精霊の仕事だろ!」
「オレンジ・スイート」少女はバッとポーズを決めた。
「そのポーズやめろ」
「うっわキモッ! アハハハハ! これヤバいんだけど!」

(一応、オレ様の名誉のために言っておくが、小娘はかなり誇張してポーズを決めている。そんなよれよれのポテトみたいなポーズはしていない。あのときオレは、ゴッホが描いた七番目の【ひまわり】のように、どこか憂いをただよわせながらも情熱的で気品のあるポーズを取っていた。まあ、はたから見れば少々滑稽だったかもしれない byオレンジ)

 ――っ、っ、っ、この、この野郎! この野郎この野郎この野郎!!
 
 頭に血がのぼっているオレの様子を見てひとしきり笑うと。
 少女は満足したのか、呼吸を整え始める。これで開放されると安心したオレは、しかし次の少女の言葉に目を見開くのだった。
「ふん、パトロールなんて物は言いようね。ガトフォセにチクッてやるわ」
 言うが早いか部屋から飛び出していく少女。慌てて手を伸ばすが少女には届かず、オレは空まわって態勢を崩してしまった。一階から「あはははは」という笑い声が聞こえ、必死で態勢を立て直す。
「おい待て、ラベンダァァァァァ!」
 叫びながら急いで階段を駆け下り、なんとか追いついて捕まえようとしたがあと一歩のところでラベンダーは、あろうことかガトフォセ香料店の柱の影に身を隠した。
 
(あの女! 最悪なところに逃げこみやがった! オレたち精霊は人間のように肉体がないとはいえ、強くぶつかれば物だって棚から落ちて破損する。店の部分ではふざけたらいけないって、ガトフォセにいつも注意されてるだろ。オレは知らないからな!!)

 柱をへだてて対面したふたり。オレは汗だくだくと息を切らしていたが、ラベンダーのほうは澄ました顔でクスクス笑っていた。店の棚に並べられた遮光ビンから漏れてくるミントの香りが、オレの体を少しだけ冷ましてくれる。
「ずいぶんとお疲れみたいね」
「〈ダレカさん〉のおかげでな!」

(〈ダレカさん〉というのはOBAKEの一種。世界中で起こる、ありとあらゆるできごとに関わっているらしい。なんでもウワサによると美人だとか。もし会えたらナンパしてみようと思う。ちなみにOBAKEというのは、非物質界――オレたちが暮らしている次元の未確認生物や怪奇現象のこと。本当にいるのかどうかは謎だが、視えるやつには見えるらしい。いろんなグッズも作られているし、その手の研究者もいる。オレは二百年以上生きているのに、まだ遭遇したことはないが。ん? いまおまえの後ろにいるその黒い台形の、もしかして……)

 顔を右へ出せば左へ、左へ顔を出せば右へ移動するラベンダー。なかなかすばしっこくて捕まらない。疲れているせいもあるだろうが、全力で動いているのにこうも捕まえられない自分はふがいないのだろうか。そう考えていると、突然ラベンダーの動きが止まった。
余裕たっぷりの顔から察するに、疲れたからというわけではなさそうだ。
「オレンジ・スイート」バッ
「やめろォ!」
 ――しかもさっきとポーズがちげえじゃねえか! そんなヒーローの必殺技みてえなポーズしてねえよ!
 そうつっこんでいると、頭にゴンと衝撃が走った。「がっあ!?」
「何してるんだふたりとも」見上げると、ハゲたおっさんがいた。
「いってぇな!」
 呼吸が止まりそうになるぐらいの痛みに、頭を押さえながら上を見ると、そこにはスーツを着た中年男性が立っていた。彼は一見するとサラリーマンのようにも見えるが、眉間に刻まれた深いシワからは職人気質な頑固さがうかがえた。近よりがたい雰囲気もあるが、顔にかけている丸メガネがとてもおちゃめで、親しみやすい印象を与えている。
 頭に関してはノーコメントだ。
「次お店で遊んだら本気で叱るって言ったよね? 何があったのか教えて、オレンジ」
 男性は険しい声音でそう言うと、しゃがんで目線をオレらに合わてきた。上から頭ごなしに説教するのではなく、何があったのか、ちゃんと聴こうというのだ。長いこと人間を見てきたが、人の話に耳を傾けられる人間は総じて賢いやつが多いよなぁ、とオレがひとり感心していると、横からプンスカ文句を言う声が聞こえてきた。
「ちょっとガトフォセ! なんで私までぶつのよ」
 見ると、ふくれっ面のラベンダーがガトフォセに不満をぶつけていた。

(ざまあみろ)

 ガトフォセは困ったように笑うと、首を振り、ラベンダーに向き直る。
「ラベンダーさん、ここには薬品や、お客様に届ける大事な精油があるんだから、遊んだらダメっていつも言ってるでしょ」
「私、遊んでなんかいないわ」下品な小娘は胸を張り、堂々と言い訳し始めた。「オレンジがいきなり追いかけてきたから、逃げただけよ」
 その言葉を聞き、オレは目を見開いた。
「こら、オレンジ! いきなりヒトを追いかけるなんて悪趣味だぞ」
 ガトフォセの予想外の言葉に少なからずショックを受けながら、「いや、ちがう、オレじゃ……ちがう」否定したオレはガトフォセのニヤけた目から、からかってこちらの反応を楽しんでいるのだと理解すると、横に残ったわずかな髪を引っつかんでやった。
「こらオッサン」
「オレンジ!」ガトフォセが叫んだ。ビクッと身体がすくむ。急に大声を出されてドキドキ驚いていると、「ゴメンナサイ、手を離してください」と、大の大人とは思えない情けない声が聞こえてきたので離してやった。
「ま、どうせラベンダーさんが悪いんでしょ?」ひとつせき払いをして姿勢を正したガトフォセがそう言うと、小娘はご立腹といった様子で暴れだした。
「決めつけるのはよくないわ! ちゃんと話を聞きなさいよ」
 ガトフォセのしかたないという表情を見て、オレはことの顛末を話した。
「ふむ。つまり、結局ラベンダーさんが悪いんだよね?」
「ち、ちがうもん」
 一気に立場の悪くなったラベンダーに、「いー、ざまあみろ」と言ってやった。オレはぐ~っとわざとらしく背伸びすると、「さて、もうひと眠りするかな~」ふたりに背を向けて歩きだした。勝利の雄叫びを内心であげながら、戦場から凱旋し、パレードに参加している将軍のような心持ちで階段をのぼり始める。
だがしかし、オレを待っていたのはクーデター後の新政権だった。
「あいつが、ナンパしてたのが悪いんだもん」
 銃を構えられたように、オレさまの動きはピタリと止まってしまった。
「さっきオレンジは、部屋で寝ていたところをバカにされたから追いかけたって言ってたけど、私がバカにしたのは、仕事をさぼって女の子をナンパしていたからよ」
 ラベンダーめ、この期におよんで往生ぎわの悪いヤツだ。
「だから、それは彼女の心の状態があまりにも不安定だったから。ショウガナイだろ」
 オレたち精霊は、人間の精神状態にとても敏感だ。昼間の女の子に関しちゃ、あいつもオレがウソを言ってないことはわかっているだろう。

(……きっと。なぜこうも自信がないのかというと、このラベンダーという女、頭が少々……。精霊というのは人間とちがって肉体がないため、寿命がとても長い。だから、ちょっと個性的なやつが多いんだ。オレはだいたい二百歳ぐらいだから若くて柔軟な思考ができるが、ラベンダーのやつは【出エジプト】の頃に生まれたと言っていた。社会科見学でユダヤ人がエジプトから脱出する様子を実際に見ていたらしい。モーセとも会ったことがあるとか。だから、ヤツの年齢は3200歳だな。オレがそう言ってたなんて、間違ってもラベンダーに言うなよ? ここだけの話だからな。女は年齢の話になるとすぐ不機嫌になる)

 じゃあな、と手を振りおさらばしようとしたが、ラベンダーの追撃は止まなかった。
「じゃあ、その前に話しかけた八人の女たちもみんな、不安定な状態だったわけね」
 パンッと勢いよく飛び出した弾丸がオレの脚を撃ち抜いた。ぐふっ。これはマズい!

(キミたちが何を言いたいのかはわかる。でも言い訳をさせてくれ。こうは考えられないか?
その日たまたま、精神的にとても病んでいる女の子たちと、たった数時間のうちにぶっ続けに出会ってしまったと)

「オレンジ、これはどういうことだい」ガトフォセが怪訝な顔でこちらを見てくる。
オレは、しらりとイヤな汗が首筋を流れるのを感じた。

 ――まさか、今朝からずっとオレの後をつけていたのか!?

「ま、待ってくれ、誤解だ! ちゃんとパトロールもしていたさ! 変な疫病がうろついてないかとか、さ」必死に弁解したが、ラベンダーの辛辣な言葉の銃弾がさらにオレを襲う。
「変な疫病はおまえだよ」
 悪意とトゲがびっしり生えたムチで、オレは縛り上げられたように動けなくなった。
「香りを使って女の子を誘惑してお茶なんかして、ずいぶんとお楽しみだったじゃない。服務規程違反で上に報告してやる」
 完全に立場が逆転したラベンダーは、まるで革命家のように力強く叫びながら、オレ様のとても健全な心――人によっては、腐った性根と言うやつもいるかもしれない――に剣を突きたてた。「これでもし本物の疫病を見逃していたら、真っ先にペストのエサにしてやるからな」

 ――ペスト

 その言葉を聞いて背筋がゾクッとした。
 かつて、幾度となく人類を苦しめてきた疫病の名だ。医療が少しは発達し、人々はずいぶんと平和に暮らせるようになった。だからなのか、オレは……。少し、気がゆるんでいたのかもしれないな。
オレは自分の行いを恥じた。悔やんだ。それゆえに、素直に謝ることにした。
「申し訳なかった」
 少しの間をおいて、ガトフォセが「頭を上げなさい」と、うながしてくる。仲直りの握手をしようというのだ。いくつだよと思うが、ラベンダーのほうは迷わず手を伸ばしてくる。
 オレは、二階の部屋でバカにされていたときとは別の恥ずかしさに顔を赤くしてとまどっていると、ラベンダーが手をつかんできた。そっぽを向きながらも、それでいてしっかり握るので、こちらもしっかりと握り返した。さすがは3200歳だ。リードが上手。

 仲直りの握手を交わしたふたりを見て、ガトフォセは子供の成長を見守る親のように微笑んだ。ガトフォセが満足気にうなずいていると、「あ、そうだ」思い出したようにオレンジが言った。「ひとつ、訂正しておきたいことがある」
 なによ? とラベンダーに視線で問われたのでオレンジは答えた。
「七人だ」
「は?」
 何のことかわからず間の抜けた顔をしたラベンダーとガトフォセに、オレンジは説明するように続けた。「ナンパしたのは九人じゃなくて、七人だ」
 オレンジの要求はこうだった。巡回中にナンパをしていたのは確かに悪かったが、一日ナンパは七人までの掟(オレンジの自分ルール)は守っていたので、数字を盛ったことに対しては謝ってほしいというものだった。
このメチャクチャな言い分についに、ラベンダーの堪忍袋の緒が切れる。
うつむきながら拳をわなわなと震わせ、う~とうなると、怒りを大爆発させた。
「そんなこと知るかああああああ」
 火山の噴火みたいな勢いでオレンジの顔面に拳がめりこんだ。ゴッという硬い音が響くと、オレンジの体は店の奥、ガトフォセ家の壁まで飛んでいく。
「ぐへッ!」
 伸びたオレンジを哀れみながら、濃いめのコーヒーを静かにすすると、ガトフォセは誰にともなくそっと告げた。「ああ、今日はいい天気だな」
 大混乱の時代に差した一時の光に、ガトフォセは少しだけ心をなごませる。
しかし彼のつぶやいた味のある深い声が、オレンジに届くことはなかった。