ラベンダーさんの育て方

植物擬人化小説

第2輪 〈ドコドコさん〉襲来

わたしはラヴァーレ。聖霊よ。
この森でミンテとふたりで暮らしているわ。
ああ、ミンテっていうのは、わたしのお姉さん。
頼りがいのある、強くて美しい聖霊よ。
わたしの育て親でもあり、親友のようにも感じるわ

ラヴァーレ

 

迫り来る〈ドコドコさん〉

 

 

森には破砕の音が響き渡っていた。
 
小さな木がいくつも折れては倒れていき、地面は鈍く揺れている。
 
鳥たちが悲鳴の声をあげて飛んでいくと、茂みの奥から、
大きな大きな獣が姿を現した。
「バォオオオオオオオ」
 
巨体から繰り出される凄まじい咆哮は、
聞くものを恐怖に慄かせ、委縮させた。
口から覗かせる凶悪な牙と、全てをなぎ倒さんとする残酷な爪にかかれば、
たとえどんな生き物であろうと、ひとたまりもないだろう。
 
しかし獣はその爪牙を使うことはなく、四本の足をただ前に、
走ることのみに使っていた。獣の王と言ってもいい立派な風格の持ち主は、
その目に怯えた色を浮かべている。
「ばおおおお」
 
再び森にこだまする声。だが、今度のものは、先程のものに比べると
ずいぶんとおとなしく、可愛らしいものであった。
 
紫色の髪を宙に流しながら、颯爽と駆け抜ける
ひとりの少女がいた。
「待てクマおらァ!」
ダッと勢いづけて飛ぶと少女は、一気に距離を詰め、熊の背中に飛び乗った。

がふっがふっ、と苦しそうに暴れる熊は、巨大な爪を必死に振りまわすが、
背中の少女には届かない。縦に横にと巨体を振り乱し暴れても、
少女のほうも、ゴワゴワと硬い毛をギュッとつかんで、離さない。
 
そうこうやっているうちにやがて熊は力尽きたのか、
急に動きが緩慢になり、そしてゆっくりと崩れ落ちていった。
 
ドッスンと音を立て横たわった熊。しかしその体に、
傷らしきものは見当たらなかった。

「よっしゃァああああああ」
 
天に向かって腕を突き出し、勝利の雄たけびを叫ぶ少女は、
大歓喜といった様子ではしゃぎまわった。
 
けらけらと笑いながら熊の頭をポンポン叩くと、今度は牙をじっと見て、
ちょいと触る。ぬらりと指につくヨダレに、「うわぁ」と顔を歪めたり、
尻尾を握ってみたりして、お腹に腹パン入れてみたりもした。
 
その後、いろいろやって気が済んだのか少女は、
がっはっはっはァと笑いながら去っていった。
 
少女がいなくなった森には、平穏が訪れる。後に残るのは、
折れた草木やえぐれた地面。
そして。

――幸せそうに寝息を立てる、熊だけであった

 

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あー、楽しかったなぁ。まだ興奮で手が震えているわ。
だってだって、わたしったら、わたしったら……――クマを倒したのよ、
すごいわ! これは早く帰って、自慢しなきゃいけないわ。

自分の胸が、誇らしいものでいっぱいになるのを感じると少女は、
気分よくスキップしていた。
 
途中で拾った小枝をブンブン振り回し、ハミングしながら歩いていると、
森の匂いとはまた別の、美味しそうな料理の匂いが鼻をくすぐった。
我慢できなくなって走り出すと、少女の住む家はすぐに見えてきた。
 
木ばかりの森の中にぽつんと佇む家は、丸みを帯びた草ぶきの屋根に、
石造りで出来ているため、森と調和したような美しさがあった。
家の周りの雑草は刈りこんであり、木も切り取られていて、
整然とした庭が広がっている。
 
少女はデコボコに盛り上がった段差を、
転ばないように注意して何度か乗り越えると、家の庭に入った。
 
すると、美味しそうな匂いがまたいっそう強くなった。

「ただいまー」
「あら。お帰りなさい、ラヴァーレ」
奥のキッチンでなべを煮込んでいた少女が、ラヴァーレを振り返る。
「ねえ聞いて、ミンテ。わたしね、クマぶっ倒したのよ」と自慢気に、
うれしそうに話すラヴァーレ。
 
その言葉を聞いて「あら~すごいわね~」と微笑んだミンテだったが、
やがてなべをかき混ぜていた手がピタっと止まった。
「え……ェえ? 何やってるのよラヴァーレ、
それ、たぶん森の神様の眷属よ! ってゆーか、倒したって何!?」
驚いて訊ねると、ラヴァーレは顔を赤くしてよろこんでいた。
「キャーー、じゃあ、わたしってけっこうすごいの?」
「すごくない――いや、すごいことはすごいけど……」
 
両手を上げてよろこぶラヴァーレに、
もうひとりの少女、ミンテはやれやれと苦笑していた。

――この小さな怪獣女子は、一体誰に似てしまったのか

昔、この森でラヴァーレを見つけた時のことは、今でも鮮明に覚えている。

当時の私は、精霊として休むことなく働いていた。
 
生きる意味が分からず迷う人間に道を示したり、
人間に虐げられた植物たち、動物たちを慰めたり、
自然の繁栄にその魂を捧げ、奔走していた。
もちろん生死(魂)をかけたバトルをする時だってあった。
肉体を持たない分、持って生きている者たちと比べると、
活動できる時間や範囲は彼らの比ではないし、
何より、精霊として世界の成長に貢献できる充実感といったらそれはもう、
素晴らしいものがあった。
 
姿が見えなくてもちゃんと感謝する人間もいるし、
彼らが喜ぶ姿を見ていると、こちらまでつい、嬉しくなる。
神と人、人と自然。
その架け橋としての使命には、胸いっぱいの誇らしささえ感じていた。
 
だが同時に、肩にかかる重圧は、段々と私の魂をすり潰し、疲弊させていった。
そこでしばらくの間、休暇を取ることにしたのだ。
 
生まれ故郷の森へと帰り、葉っぱを伸ばし、美味しい空気を吸う。
森の生み出す新鮮で豊かなエネルギーに触れた私の心は、
たちまち元気を取り戻していった。
 
そしてある朝のこと。
 
森を散歩していた私は、遠くに人影のようなものを見て、不審に思った。
なぜならこの森は、人間以外の生き物のための聖域だからだ。
 
人間は決して入れないはず。
だが、もし何かの間違いで迷い込んでしまったのなら。
大問題だと思い、急いで様子を見に行く。するとそこには――

――あまりの美しさに、息を呑みこんでしまった

 
そこには、朝日を衣のように身にまとい佇む、ひとりの少女の姿があった。
 
霞がかった朝の空気は、
陽の光をキラキラと反射させ、少女を眩く輝かせている。
淡い紫色の長髪はかなり乱れていたが、
その様子がかえって憂いさを際立たせ、
まるで、戦場に降臨した月の女神のようだった。

――これほど美しいものは、今まで見たことがない

時間を忘れてどれほど見入っていただろうか。神殿に置かれた像さながらに、
まるで動かなかったので、私もついずっと、見ていてしまった。
彼女の髪がそよいだのを見て、はっと我に返る。
 
離れていた時は分からなかったが、ここまで近づけば分かる。
彼女が放つ匂い、それは、人間のものではない。
弱々しいが、確かに精霊の匂いだ。
「ねえあなた、そこで何をしているの?」話しかけてみたが、無反応。
あれ、聞こえなかったかな? もう一回。「ねえ、何をしているの?」
と話しかけてみたけれど、やはり反応はなし。ええい、三度目の正直よ。
今度は、声をもっと大きくして言ってみる。
「こんにちは! 私はミンテ! あなたはだあれ?」
 
空気が振動で揺れ、口から出た声がブレて自分の耳に届くのを感じてもなお、
少女は石のように動かなかった。
 
私は精霊よ。ちょっと無視されたくらいで、別に怒らないわよ。
きっと何かの間違いだわ。そう。
だから、今度はもっと、大きな声で叫んでみた。が。
 
ちくしょう! 下に見やがって、この私を一体誰だと思っているの!? 
『征服の草』の名で広く知られる、ミンテ様とは私のことよ。
あの冥府の王、ハーデスからだってナンパされたんだから! 
にもかかわらず、私の呼びかけに応じないとはイイ度胸だわ。
いいわ、いいでしょう、ええ。
誰にケンカを売っているのか、思い知らせてあげましょう。

それで肩を叩いた瞬間――

あれは死ぬかと思ったわ。
私の友達にマンドレイクっていう、とても悲鳴が上手な子がいるんだけど、
あの時のラヴァーレの声を聞いたら、きっと、ビックリするわ。
あまりの才能に弟子に欲しいとか言うかもしれない。……あげないケド。

「ねえミンテ。ご飯、まだ?」
気付くと袖を引っ張っているラヴァーレに、慌ててミンテは答える。
「――あ、うん、あとちょっとね」

ラヴァーレは、そっかぁ、とにっこり笑うとテーブルの椅子に腰かけ、
ミンテの後ろ姿を見た。
 
自分と同じ背丈の女の子。でも本当は、わたしよりもずぅうっと年上。
薄く緑がかったブロンドでウェーブの髪がすごくキュートで、
エレガントって言ったらいいのかなぁ。
とにかく面倒見が良くて、とてもステキなお姉さんよ。
頭に被ってるミントで編まれた冠も、すばらしいほどよく似合ってて、
見てるだけで癒される。はぁ、幸せだわ。クマも倒したし。

「はい、でき上がったわよ」とミンテに言われ、
ラヴァーレはテーブルの上に並んだ料理に、よだれを押さえる。
 
レバノンスギで作られた茶色いテーブルには、
同じ材木のお皿や杯が並んでいた。
 
オリーブが入った香ばしい小麦色のパンに、ヤギのミルク。
大きな器には、タマネギとニンニク、ひよこ豆、
イチジクなどを煮込んだシチューがある。
できたての熱いシチューからは、コリアンダーやクミンの
風味がただよってきて、ラヴァーレのお腹はぐうと鳴った。
「ねえミンテ、この、真っ黒いものは何?」
 
ラヴァーレが指をさしたものは、杯に入った飲み物だ。
しかし、黒々としていてなんだか禍々しい。
香りもかなり独特で、ラヴァーレは毒じゃないかと疑った。
「それね、友人にもらった豆とレシピで、作ってみたのよ」
「これ、失敗じゃない?」
「そうかも。でも、これが正解だったら、おもしろいわよね」
「友達の嫌がらせじゃないことを、祈るわ」
 
ラヴァーレはお行儀よく居住まいを正すと、いただきます、
と料理を食べ始めた。ミンテの作る料理は最高よ。
ほんっとうに、どれもおいしいんだから。
ヤギのミルク、いいわ。パン、うまい。シチュー、グレート。
シチューにつけたパン、エクセレント。そして……。
食べ終わった皿の背後に控える、ブラックモンスターに目をやる。
「……」
「どうかした?」
「いや別に」
 
ラヴァーレは、ミンテがお残しにうるさいことをよく知っていた。
精霊だから別に栄養なんか気にしなくっても、
太陽の光と空気、あと水さえあればやっていける。でもそれを言えば、
「そういう問題じゃない。作ってくれた者に対する、感謝の気持ちが大事なの」
と強く反論するに決まっている。
 
……一応、最終確認をしよう。

「ミンテ、これは……ちゃんとした飲み物なのよね?」
「そうよ。レシピ通りにちゃんと作ったから大丈夫」 
「じゃあ、ミンテから飲んでみてよ」
 
ミンテは澄ました顔で美味しく飲み始めた。
その様子を見て、ラヴァーレも安心して手を伸ばす。
しかし口に含んだ瞬間、「ぶはっ」と吐き出した。

――ゲホッゲホッ、なんだこれ、クソマズい。
ミンテはどうしてあんなに、おいしそうにこれが飲めるの!?

「ラヴァーレ! 大丈夫? 口に合わなかった?」
驚いた目でミンテがラヴァーレを見る。
「――は、はぁ、ミンテ、これは好みとか、そういう問題じゃないわ。
これは、これは、悪魔の飲み物よ!!」
体をぶるぶると震わせて息を荒くするラヴァーレに、ミンテは怪訝な目を向けた。
「私には美味しく感じられたけど」
「ごめん。これ以上は、ムリ」

 

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食事の後、モンスターの体液ですっかり汚れてしまった服を着がえると、
わたしは家を飛び出した。
「行ってきまーす」
「夕暮れまでには帰ってくるのよ」
 
はーいと返事をして、森の中へ冒険に行く。
 
さてさて……と。さっきまで口の中で暴れていたモンスターの毒も、
お口直しにミンテがくれたミントの葉で、今はさっぱりだ。
午後はどこへ行こうかな。
 
辺りをきょろきょろ見まわしていると、家に入る前に捨てた小枝が目に入った。
それを拾って、占ってみる。
 
小枝をまっすぐ地面に突き立てると、
わたしはおもしろがって、ミンテの真似をしてみた。
「わが『せいふくの草』の名において命じる。しるべを示せ」……だっけ? 
ま、いっか。つかんでいた手を放すと、
呪文でほのかに光を帯びた小枝はトッと倒れた。
その方角はたしか……
 
森の中をしばらく歩いていくと、ちょっとした小さな丘の上に来た。
わたしとミンテがはじめて出会った場所だ。
 
前にも何度か来たことがあったけど、ここはなんだか落ち着くなぁ。
陽当たりは良くてぽかぽかするし、
遠くから聞こえてくる滝の音が涼しげで、癒される。
りっちじょうけんが整ってるって言うのかしら。
そう、きっと、りっちじょうけんがすごいパワーを持っている場所なんだわ。
 
適当にぶらぶらさんぽしていると、
森と大地の匂いとは別に、すてきな香りが鼻をかすめた。
 
爽やかで、月光みたいに清らかな淑女のよい香り。
 
香りの先には、紫色の花があった。
長細い茎の先には小さい花がいくつも咲いていて、
白いチョウも、心地よさそうに周りを飛んでいる。
「こんにちは、元気ですか」しゃがんで話しかけてみる。
 
返事が聞こえるわけではないけど、風で花が揺れたのを見て、
わたしも花が咲くように笑った。
 
このお花がわたしはとっても大好き。
 
ミンテが言うには、このお花たちはわたしの影響を受けているらしい。
むずかしい話だったから、よく覚えてないんだけど、
わたしが元気であればあるほど、このお花たちも元気になるんだって。
がんばろう、おー。

 
ふとラヴァーレが花から視線をそらすと、
遠くからこちらをうかがう者がいることに気が付いた。
木の影と同化するように立っていたので、
一体それが何であるのか、よく分からない。
 
ラヴァーレは、もっとよく目を凝らして見た。

……ヒト? 

どうやらそれは、
黒々とした外套を身にまとっているということが分かったが、
問題はその顔だった。
世界中の全ての悲しみを一ヵ所に詰め込んだような、重たい外套とは裏腹に、
顔は真っ白だった。
 
その白い色の正体が何であるかに気付くと、ゾゾッとした虫のような悪寒が、
ラヴァーレの背筋を抜けていく。

――それは、顔の肌が全く見えないほどに巻かれた、包帯だった

なに……あれ

体が急に寒くなるのを感じる。頭の中で誰かが叫んでる。逃げろ! って。
 
思った時には走っていた。ヤバい、あれは、出会ってはいけない類のものだ。
悪魔、疫病、ブラックモンスター、そんものとは次元がちがう!
 
あれは、きっと――〈ドコドコさん〉だ。
頭に〈ドコドコさん〉に関する記憶がよみがえる。

――ある日の夜のことだった。
寝る前にラヴァーレは、ミンテにお話をねだっていた。
「じゃあラヴァーレ、次のうち、どんなお話がいい? 
ひとつめは『私を愛した男たち』、ふたつめは『黄金のリンゴ伝説』、
三つめは『ドコドコさん』よ。
ちなみに私の一押しは、『私を愛した男たち』。さあどれ!」
「どこどこさぁあああん」
「……」
「ねえ、どこどこさん」
 
どっこどっこさっん~がいっいのー、とラヴァーレがベッドの上で
飛び跳ねるので、ミンテは仕方なく、〈ドコドコさん〉の話をすることにした。
はぁ。
「じゃあ、話すわよ」
「はーい」

むかしむかしあるところに、とても正義感の強い若者がいました。まじめではたらき者だった彼は、ある日なかまたちと共に、世界を救うための冒険に出発したのです。しかしその冒険は、辛く、苦しく、かこくなものでした。おなかが空いても、食べ物を食べられないときもありました。それでも、がんばり続けてがんばり続けて、とにかくがんばった末、いくたあまたの試練を無事、乗りこえることができた若者たち一行。とうとう彼らは、この世界を破壊しようとする、悪いバケモノの王さまの城へたどりつきます。

「その王さまが、〈どこどこさん〉なの?」
「それはね、最後まで聞いてみてのお楽しみよ」

若者たちとバケモノの王さまは、何日も何日も戦います。雨の日も、風の日も、雪の日だって、休むことはなく戦い続けます。――そして。若者は、とうとう気づいてしまったのです。自分の周りには、すでになかまたちのすがたはなく、バケモノの王さまにも勝てないことに、気づいてしまったのです。王さまは言いました。「人間は弱い生き物だ。おまえがわたしに勝つことは、絶対にない」、と。若者は泣きました。それはもうくやしくてくやしくて、今までの努力がぜんぶ否定されたようで、けっきょく、何に生まれたのかが大事なんだと、じだんだを踏みました。王さまは、彼にとどめを刺すために近づくと、言います。「何か言い残すことはあるか」。もうダメかと思った若者の頭に、むかし、おばあさんが言ってくれた言葉が出てきました。「いいかい、弱いということはね、無限の可能性を秘めているんだよ。まだ進化を残しているから、弱いんだよ」。するとどうでしょう、若者の体が、とつぜん光り出したではありませんか。「魔王ォ! おれは、進化するぞォ!」。そう叫び終わったとき、すでに若者のすがたは、どこにも見当たりませんでした。いなくなった若者の代わりにそこにいたのは、大きくて黒い、台形のような形に、ぼんやりと光る目のついた、恐ろしいバケモノでした。バケモノは一瞬のうちに王さまを倒しました。しかし、世界に平和が訪れることは、ありませんでした。なぜなら、王さまがいなくなったあと、バケモノが世界中をさまよっていたからです。バケモノは、会う人会う人に、こうたずねます。「ココドコ、ドコドコ?」、と。そして、人々が正しい地名を言えないと、ニヤッと笑い、血のように真っ赤な大きな口を、あんぐりと開けて食べてしまいます。運よく地名を言えれば、食べられずにすみますが、言えなかった場合は、食べられてしまいます。どんなに一生けんめい逃げても、恐ろしく速いスピードで追いかけてきます。ココドコ――。

「もうやめてェ!」
 
ラヴァーレは目に涙を浮かべてミンテの胸ぐらをつかみ、バカバカと訴えたが、
ミンテは大笑いだった。
「ちょ、やめ、アハハハハ」
「なんで、途中までいい話だったじゃない! 急展開すぎるわ」
「アッハハハハハ」
「ねる前になんて話してくれたのよ、怖くてねむれないじゃない!」
「でも、選んだのはラヴァーレよ。だから私は言ったのよ、
『私を愛した男たち』がオススメよ、って」
「そんな怖い話だって知ってたら、選んでなかった。もうねむれない」
「大丈夫よ、私がいるから」
「ミンテなんて、きらいよ」

――まちがいない、あれは、〈ドコドコさん〉だ。
 
わたしは身のすくむ体を懸命に動かし、とにかく走った。
 
はぁ、ぁ、は、どうして〈ドコドコさん〉がこの森にいるのかは分からない。
でも、今はそんなこと、どうだっていい。
問題はわたしが、この森の名前を知らないっていうことよ。
精霊の森ってずっと呼んできたけど、
それが正式な地名かどうか分からない以上、逃げるしかない! 
彼の目的は一体なんなの? 
 
なんで、なんで。
 
とにかく早くミンテに知らせなきゃ。もしもの場合は、わたしが。

 

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平和な森に突如巻き起こった異変。
そんなことはつゆ知らず、ミンテはリビングで友達に送る文香を書いていた。
 
するといきなりドアがバンと、盛大な音を立てて開いた。
驚いて喉から変な息が漏れる。
 
戸口にはラヴァーレが、苦しそうに膝に手をついて、荒い息を吐いていた。
「ラヴァーレ、何があったの?」
ラヴァーレの様子に何かただならぬものを感じて問いかけるが、
「――ぅ、ござん、ばっ」
とラヴァーレは喉が息で詰まって、うまく答えられない。
「落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり息を吸うのよ」と背中をなでるが、
ラヴァーレは肩を震わせるばかりで、必死に何かを伝えようとしていた。
「ん、ンテ、はっ――逃げて、ど、〈ドコドコさん〉が、来た」
 
その言葉に、ミンテは怪訝な顔をした。

――〈ドコドコさん〉?

急に影ができて視界が暗くなったので、
恐る恐るラヴァーレが振り返ると――それはいた。
 
180センチはありそうな身長は、少女の目から見れば巨人と変わらなかった。
冥界の空気のような重たい外套を着こみ、フードから覗かせる
包帯で真っ白い顔は、
キレイではあるものの、それが余計に恐ろしくてたまらない。
体からただよってくる排他的なまでに清潔な匂いが、
ラヴァーレに死を連想させた。
 
ラヴァーレは、体全身が恐怖でこわばるのを感じたが、彼女は……。
 
彼女は、なんとかなけなしの勇気を振りしぼると、
ゆっくりゆっくりと近づいてくる〈ドコドコさん〉から、
ミンテを守るために、両手を広げて立ちはだかった。
「こ、ここ、は、精霊の森、よ。だから、帰って、ください、〈ドコドコさん〉」
 
〈ドコドコさん〉の顔の包帯が笑うように揺れ、彼はゆるやかに手を上げる。
その瞬間は、ラヴァーレにとっては、永遠にも等しく感じられた。
 
〈ドコドコさん〉の手が、ゆっくりゆっくりと近づいてくる。
胃は強く締めつけられ、心臓が、自分だけでも体から逃げだそうと
ドクドクドクドク暴れている。服がヌッタリと肌に張りついて気持ち悪い。
視界が涙でブレる。死を覚悟してラヴァーレがぎゅっと目をつむった時。
 
ふわりと、頭をなでる感触があった。
「ミルラだ」
 
と、包帯の下から、低くくぐもった声が聞こえる。
「あら、先輩じゃん」
 
ラヴァーレの肩からひょいと顔を出したミンテは、
場にそぐわない実にマイペースな声で、そう言うのだった。
「久しぶりィ!」と声をかけ、先輩と呼んだ人物を抱きしめた時には、
ミンテの姿は大人の女性になっていた。